記憶3

http://d.hatena.ne.jp/hyorohyoro/20051126の続き

またまたまたまた子供の頃の話。

小学生のとき、俺はピアノを習わされていた。
ある日のこと、レッスンの時間に遅れそうで急いでいた俺は
近道するために、とあるマンションの敷地を通り抜けることにした。
その日は雨だったが(あほだったので)傘も差さず
ものすごい勢いで走っていた。
元気の有り余っているガキにありがちである。
で、その敷地の一部にタイル貼りの部分があり、
雨のせいで表面が相当濡れていた。


……ものの見事にすってんころりんと転びました。


後頭部をもろに打った俺だったが
「遅刻しそう」という気持ちのほうが勝ち(あほ)
そのまま何事もなくレッスンをこなし、普通に家まで帰ってきた。


家まで帰ってきて、初めて冷静に転んだことやその後のことを思い出して
なぜだか俺はわんわんと泣き出してしまったのだった。
とにかく、恐ろしかったのだ。
当時は何が恐ろしかったのか自分でもわからないままに、大泣きしていた。


今になってその理由を考えてみると、なんとなく分かる気がする。
転んでから家に帰ってくるまでの記憶が無かったのだ。
正確には、記憶があったが、重要なものがかけていた。
感情が。


転んだことは覚えている。
ピアノを弾く自分を覚えている。
帰り道の様子も覚えている。
でも、何を感じたのか、何を考えたのか
一切思い出せなかった。
まるで自分の記憶ではないかのように。
だから怖かった。自分が自分でなくなることが。


ひょっとすると死の恐怖を初めて実感したのはこのときだったのかもしれない。


人間にとって、「生きている」とは「自分がある」ということに等しく
俺が「自分がある」ことを認識するためには(=生きていると実感するためには)
記憶が不可欠なんではなかろうか、とそんな風に考えてみた。