心の声

心の声というと何か怪しい宗教団体の名前みたいだが
そういう話ではない(対応する宗教団体があっても、それは偶然なので怒らないでください)。


記憶の話とかと通じる話。たぶん。


話を唐突に始めよう。
人間は考える葦であるから、心の中で色んなことを常に考えているのだけれど
その「考え」には二種類ある、
無意識の考えと自覚的な考え。
前者は考えの断片の海のようなもので、後者は心の中での独り言みたいなもの。
今日の夕食のメニューの候補をつらつらと思い浮かべるのが前者で
「今日は何を食おう。カレーか炒め物か麺類もいいな」と
「声に出して」いるのが後者。
心の中で声に出すも糞もないのだけれど、そうとうしか表現し様が無い。


これらの二者の違いとは結局、「自分が思考していること」を意識していないかどうか
だけの違いなんだろうと思うのだ。
自分の思考を客観視できているときは、後者が成立するけど
そうでないときは前者の状態。
また、前者が動物の状態に近くて、後者は人間だけが持ちえるもの、というような
言い方もできそうだ。


ところが、これと一見あわないような事実もあって
自分は風邪を引いたり、体が弱っているときには
四六時中自分の心の声を意識してしまうのだ。
無意識的思考をしている時間がほとんどないようなきがする。
といっても無意識を意識することはできないので(論理矛盾もいいとこだ)
正確にそういえるわけではないのだが。
少なくとも、熱に苦しむ寝床の中で自分の心の声が一番うるさいというのは確か。


弱っている、すなわち自分の能力が低下しているときに
人間的な能力が一番発揮されるというのは
何か不自然な気もする。
ひょっとして、風邪とか引いているときに弱るのは動物的な部分で
むしろ脳の上位の部分は活発に動いているんですかね?
でも風邪を引いているときには、たいした思考もできないのは事実。
うーんわからん。
というか眠い。うん寝よう。


心の中って他人にはわからんから一般化が難しい。
科学の対象にはなりにくいでしょう。
だからこそ無責任に色々言えて楽しいのだが。