記憶

徒然なるままに記憶について考えた。
人間は色々なものを認識して記憶する。
その認識内容は膨大すぎて、そのままでは記憶容量がすぐパンクしてしまうだろう。
例えば視覚だけでも数時間でギガバイト単位になる。
するってえと、認識⇒圧縮(情報の取捨選択)⇒記憶
という作業が必要になるであろう。
圧縮方式というのはそれこそ浜の真砂のごとくたくさんあるわけでして、
どの情報を捨ててどの情報を残すのかの選択は? それが問題だ。



サンプルは残念ながら一人しかいないので、意味のある結果かどうかはわからないが
自分の胸に手を当てて考えてみるに(半年以上前の出来事に限ると)

  • 誰と何をやったかという記憶は存在するが、その日時までは覚えていない。

各事象の前後関係も覚えていない。(前後関係を推理することはできる)
その記憶には断片的かつあやふやな画像が伴う。映像ではない。音声も無い。

  • 時として、記憶に「そのときの感情」(快・不快などの単純なもの)が伴うこともあるが

「そのときの思考」は伴わない。
例えば、「映画を見た。つまらなかった」という記憶はあるが
「映画を見た。主人公を演じる俳優自身と主人公が似ていると思った」という記憶は無い。

が、それをどのような状況で覚えたのかは覚えていない。

  • 三角関数の積和・和積の公式は和の公式から導出できる。

導出できるという事実をいつ覚えたのか、
またその導出方法をいつ覚えたのかは覚えていない。



結論。
人間(というか俺)は非常に忘れっぽい。
が、繰り返し思い出すようなことはよく記憶している。
つまり普遍的に使えるようなことは良く覚えられる。
よく覚えられるということは、思考にもよく現れるわけで
これが科学の発展に関係していると言えるかもしれない。
一方で感情は、その思い出す頻度の割によく覚えている。
動物的なものに由来するのだろうか?
これが宗教の発展に関係していたりすると面白い。
と、此の辺でこの話題に飽きたので終わりとする。
これを書いたこと、いつまで覚えているだろうか。
覚えてたら続きを書きます。