アイデンティティー1「どこまでが私か」

自分はどこまでが自分なのだろうか?
あるいは、どこからが”非”自分なのだろうか。
こんなことを考えてみる。
衣服はあなた(に含まれる)だろうか? 
ほとんどの人間はこの問いに「いいえ」と答えるだろう。
こんな布切れ一枚が、かけがえのない私の一部のわけが無いと。
それでは、その腕はあなた(に含まれる)だろうか?
多くの人間が「はい」と答えるだろう。
なぜなら、私は私の意思を以ってして自由にこの腕を動かせるのだから。


では、その爪は、その髪は、その皮膚は、その血は、その臓物は、あなたか?
その排泄物? その声は? その心は?


私と非私の違いは、ただ一つ。
変わらないか変わるかだ。
より正確には変化のスピードの違いだ。
あなたにとって、変化しない・いつも同一であるものが「私」であり
あなたにとって、交換可能なもの・常に変化しうるものが「非私」だ。


もしも、同じ服を常に着ているような状況下で生まれ育ったならば
人は衣服を自分の一部だと認識するのではないだろうか。
自分と非自分の境目は、その人間自身が決めることなのだ。